さかさま不動産イベントに参加してみた

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珍しく空き家系イベントがあるということで、参加してきました。その名もさかさま不動産というプロジェクトをやろうということで、その内容説明から空き家使いたい人(貸せるよという人も)も集まれ!的なわりとおだやかなイベントでした。今回はそこで得た知見なり、可能性について考えてみます。

さかさま不動産とは

さかさま不動産は、株式会社On-Co代表の水谷さんと、共同経営の藤田さんが行っているプロジェクトです。

細かい説明は、現在readyforにてクラウドファンディング中ということもあり説明記事があるので公式的にはこちらをどうぞ。

人と空き家を物語で繋げる。「さかさま不動産」の挑戦

その上で、ざっくりと乱暴にいえば、

  • 空き家マッチングを借り手の想い、利用用途などベースで、所有者が選ぶ
  • 所有者が借り手から選ぶのは変わらないが、やりたい借り手、志がある借り手ありきではじまる
  • コミュニティベースであり、関係性が肝となる
  • 「ビジネス」は見えないがこのプロジェクトはビジネス的視点はあまり似合わない印象

という感じです。

リアルイベントでは何が起きていたか

イベントのゲストでもあった岡本さんが記事を上げています。ここに書かれている通りですが、たしかに「伝説」感がありました。

「さかさま不動産」というパワーワードが日本をちょっとずつ優しくするかもしれない

なぜこういうことやりたい!といって参加者がアピールし始めたか、そこから熱気のあるアピールリレーが始まったのですが、これはいくつか要因があるような気がします。

1つは、主催者側が「ビジネス」の人でなく「コミュニティ」の人という印象を与えたこと。ビジネスでなくボランティアでやりたいということでなく、ビジネスとしても成立させたほうがいいのは分かっているけれど、ではビジネスありき(お金儲けのニュアンスとして)でもやれることも広がりづらいという感覚。

2つ目に、若者でありながら実践していって確実に信頼を形成されたこと。学生などがいう夢や希望だけのプレゼンではない、実践の客観視をした棚卸し的発表であり、それが本気度を示したこと(熱さというよりも、やりませんかね?という雰囲気)。

3つめに、さかさま不動産の内容自体が洗練されたなにか(ピクト図解のビジネスモデルはあるけど)でなく、ポテンシャル(可能性)を感じさせる、いわゆるストーリー型、共感型のプロジェクトビジョンを示したことで、良い意味の「あそび」が生まれ関われる余地が生まれたこと。

要するにいい感じのイベントだったということで、良い感じに参加者も関われたということですね。

ちなみに1はビジネスを否定するわけでも、コミュニティ(人の関わりの緩やかなグループ)のみが良いということではないです。感覚になりますが、既にビジネスという言葉で説明出来ることが少なくなってきて、お金を稼ぐ、利潤を得る、稼ぐみたいな意味しか残ってないということです。SDGsでもいいですし、社会起業、ソーシャルプロジェクト、非営利活動でもなんでもいいのですが、私の視点ではもはやこれらは統合されているけれど、説明がしづらいというギャップを感じるところだからです。

2や3はほぼ同じことです。お金を取っているイベントではないものの、とはいえ興味がなければ人は集まらないし、主体性をもって参加というのはまずありえません。空き家へ興味関心というところ以上に、「なんかやる」という緩い定義やこれから始まるというところが人の心に着火したのかなというところです。

心理的安全といってもいいでしょうが、アイスブレイク等はしていますが、この規模(約80名)で安全感を感じることは私の体験からすると稀です。むしろ、杓子定規で本題に入れなく消化不良であったり、何か本質を言い得てない(出してない、またはそれが隠している、もっといえば何か裏がある)ことになりやすいです。

もっともそれを狙ったイベントではなく、あくまでこれからさかさま不動産というプロジェクトをやるから、それに合わせたイベントであり、興味がある人集まれという形だったのでしょう。とはいえ、どう設計しようがポテンシャルを感じたことは確かです。

別方向からの視点

空き家で何かやりたいという人が発表をし続けてイベントはそのまま時間切れで終わったのですが、一方で私は別のことを感じていました。

それは、「明確にこれをやりたい」ということがなくても、プロジェクトに参加出来る仕組みです。具体的にいえば、「プレイヤーの応援者」ということになります。一方で応援者=借り手プレイヤーになれないかということでなく、緩いプレイヤーがいてもいいということですね。

私はこれがしたい、こうするというある種キレイな、またはそれを見つけなければならない社会というのは私にとっては悲劇です。何かやりたいということはとても良いですし、明確にあることもとても素敵だと思います。一方でそこまである一つまたはコアな何かを分かっているという人は少ないのも実際にあります。

つまり、「何かやりたいことを明確に提示する」人がいれば、当然それを補う関係性が必須という感覚です。例えば映画監督がいてプロデューサーという時、前者が明確なやりたいこと、後者がそれを支えるための実現する人という位置づけです。プロデュースという概念が理解されづらいのは、黒子であり分かりづらいのと見えづらいというだけだと私は考えています。

もっといえば、ある一人のやりたいことの下に膨大な応援者、関わった人がいたり、また何か応援するとかつなげる人がいることで成立することがわりと自然なのかなと思います。それを見て「目立つプレイヤー」だけが優れていると考えると色々と破綻するわけで、実際にはその水面下に膨大な情報や知見や関わりがあると。これこそが信頼やコミュニティにつながるのかな思います。

ちなみに私は明確に空き家で何かをやりたいという提示はないのですが、何かやる人には応援したいという応援者的な位置づけです。とはいえ何か出来るかは文字通り何ができそうかを話し合っていくかなり手間のかかる話です。とはいえ、プレイヤーがいなければ始まらないですし、オーナーがそこにアクセスしないと始まらないので、誰がどうということでなく、それぞれやっていくことが大事になるわけですね。

空き家でなくても、プロジェクトの進め方としてのコツ

空き家プロジェクトに関わらずですが、今後のプロジェクトは完全にといってもいいですが、クラウドファンディング然り、様々な選択肢が出てきています。もちろん全ての人の全てのやりたいことを瞬時に叶えるものはちょっと違うのですが、今までできなかったことが出来るかもしれない、それはビジネスの経験やお金の有無や人のつながりの有無で決まらずにということが一つの可能性かなと感じています。

多少荒削りであっても、出していって形にしようとしていったほうがいい、ということは多分言えそうです。仮に最初に目指したゴールや方向性がずれていたら修正していけばいいという感じです。その場合にずれまくったり、修正しまくった場合にどうあんるか。小手先のアウトプットが変わるのは枝葉に過ぎず、おそらくコアな部分が変わらないなら経験を蓄える、そこから成功率を高めていくということに過ぎないのかなと感じます。

だからこそ、荒くやってフィードバックを得ていってその間に人々の共感や仲間が増えていく方が面白いわけです。例えば企業での人事においても採用のあり方が条件提示はあれどそれだけで動くということはその条件のみだけで動くことになります。その会社の何か惹かれた、担当者や働く人に惹かれたものがなければ厳しいでしょう。逆にプロジェクトやコミュニティであれば、分かりやすい条件としてのお金が消えることで、それ以外を見ることになります。

空き家ビジネスというときに、この事業計画では儲かるかとか、このやり方では収支が合わないとか、ニーズが、ターゲットが、ビジネスモデルがどうとかってビジネス的な意味ではありです。ただそれを机上で鉛筆をなめててもやはり何も起こらないし、起こったところでそれは机上であるから、共感や熱意やストーリー性は皆無です。もちろん持てる者としての不動産という価値はあれど、同時に負動産という見たくない事実もあります。

一昔まえであればこういった感覚は「先行しすぎて」いて、誰もついて来なかったのだと思いますが、そういう意味ではこなれてきて「やはり、お金儲けだけでは」という人がマイルドに広がってきたのかもしれません。もっとも空き家を活用したい人でビジネスがうまい人もいれば、そうでない人もいるでしょうし、想いはあるけどビジネスとか分からない人もいるでしょう。

そういう意味では本イベントのようにものすごく出来た何かではないけれど、とはいえ実践の中から見出したものを客観視して、ぶっちゃけて提示していく。これはやる側の性格やキャラクタや価値観ももちろんありますが、面白いなと感じました。

また何か動きがあればレビューしてみたいと思います。

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