銭湯ぐらしプロジェクトから見る空き家の終活視点

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

株式会社銭湯ぐらしが行った銭湯ぐらしというアパート解体プロジェクトがあります。空き家の終活という視点で見直すととても意義深いのではないかと感じました。今回はこの銭湯ぐらし、建物の終活という点で見てみます。

銭湯ぐらしとは

銭湯ぐらし

東京都杉並区にある銭湯の隣にあった風呂なしアパートが解体をするということで、その解体までの1年をクリエイターがコラボして実験的な取組を行ったプロジェクトです。

1年間という期間限定とクリエイター、そして建物は解体されるという点で、まさに建物の終活、空き家の終活ではないかと感じました。

対象アパートを捉え直す

空き家=負動産と捉えることもできますし、解体する建物=不要と捉えることもできます。一方で現状社会における最も必要なことは「ポジティブ」でかつ「行動すること」なのではないかと感じています。

ポジティブの説明は省くとして、行動するとは何も空き家をリノベーションするとか、文字通り「空き家を活用」することをしなければいけない、わけではありません。要するに何かできないかと模索し、その人なりに(私も含めて)行動をすることになります。

以前、空き家に関して個人プロジェクトが面白いというようなことを書きましたが、同様のことですね。

銭湯ぐらしプロジェクトでは、「風呂なしアパート」を「銭湯つきアパート」(隣が銭湯なため)として捉え直すことで、銭湯を介したまちづくりやコミュニティの基点となったようです。こういう視点、見方、アイデア自体はいつも思いますが非常に些細なことで、一見するとバカバカしいとも言えるものです(本当にバカバカしいわけではない)。

見方を変える「だけ」というよりも、見方を変えたからこそ、結果的にクリエイターのアイデアや実験が「銭湯があるくらし(余白のあるくらし)」(サイトより引用)となったといえます。

とくにこの「余白」が最も印象に残りました。

例えばこんなことを思う人はいるのではないでしょうか。

  • なぜ解体するアパートに1年間もクリエイターが関わり続け、むしろ新しい企画や試みを試すだろうか?
  • 銭湯は昔のものであり、若い人はそもそも行かないので意味がないのではないか?
  • 解体するのにまちづくりであるとか、よくわからない

私もこれらはプロジェクト報告書を見ただけですので詳細は把握できていません。ただ逆にいえることは、もはやといっていいと思うのですが「直線的な成長」であるようなことは例外はあれどもはや通用しない、成り立たないということです。

具体的には、必ずその起案者やプロジェクトを行う背景があり、しかもそれは当然共感を呼ぶために「作られた」意図でなく、本当にそう思っていること(今はすぐにバレてしまうわけですね)。さらにその人が行動したり、人を巻き込んだり、または何かしら貢献する立場を明確にしていること。要は「本気」でやることで熱量が伝播していくということです。

これらは実は以前であればNPOなど草の根活動であるとか、ボランティアであるとか、個人の趣味であるとか、そういう非営利または非ビジネス的な部分で目立ちました。それしかないからという言い方でもいいでしょう。

しかし今ではビジネス領域や営利、社会企業という言葉も「綺麗事」ではなく、しっかりと根付く、もっといえば「社会に対して貢献するということ」がなしで一人勝ちするみたいなことは通用しなくなってしまったということです。

話が大きくなりすぎました。しかし、町の中でのコミュニティや地元を元気にするということにおいても、全く同じことが言えます。もはや資源を獲得し(土地やお金等)、それで何かするというよりも、あるものをうまく加工したり、編集するほうが実践的であるし、それこそ「ストーリー」「意味づけ」「編集」というようなことになっていくのではないかと考えました。

「余白」とは、現代社会が効率的、経済的、合理的など指標がない中、「とりあえず時間を埋める」みたいなことを目指した結果、失ったものなのかもしれません。余白というと暇みたいなものと思われるかもしれませんが、暇=ネガティブと捉えると、あくまで余白=ポジティブです。「アソビ」といってもいいでしょう。うまく回すには一定の余裕や遊びがいるということです。

この遊びがなくなったのが今なら、それを取り戻すこと。それはとても難しそうですが、実は一人ひとりが意識していくと到達するのではないかと思ったりします。

実際にやられたことから学ぶ

前置きが長くなりましたが、前置きというよりも実はこれが本記事のメインです。

以下、プロジェクト報告書より何が起きたかを見ていきましょう。

小杉湯という銭湯の隣にある風呂なしアパートを1年間活用しその後解体するという形になります。

銭湯×宿泊というキーワードでは、「銭湯つき宿泊プロジェクト」を実施。これは民泊として約60万円の収益を上げています。この値は通常の賃貸契約の1.5倍というのも面白い点ですね。民泊をするのだけど、銭湯文化を体験してもらうということ、外国人向けだったり1ヶ月以上滞在ということで「風呂なしアパート住居」というイメージとは一線を画すこととなっています。

銭湯×企業連携では、JTを協賛としてプロモーション企画を実施。こちらはプロモーションとしては若い人が来客することやJTは新しい印象形成に成功したかもしれません。

銭湯×音楽では、アーティストが営業時間外の銭湯を活用し月1回ライブを開催。銭湯でです。これにより、来場者は約160人でこちらも売上が60万円ほどどなっています。

銭湯×イラストでは、イラストレーターにより銭湯入浴方法や銭湯自体の認知をSNSで拡散して知らせることに成功。見ているだけでほっこりしそうですね。これにより銭湯のイメージアップに成功しています。

他にも銭湯×アート、銭湯×クリエイティブ、ということでWebサイトやロゴなどビジュアルやクリエイターの表現と連動することでどんどん面白いプロジェクトが生まれていくという形になっています。

結果的にクリエイターが何かを創れたことも大きいし、その力がまちづくりや銭湯の再認識、アパート自体に住み込んで生活するという一体感や新たなプロジェクトが生まれているというのも非常にクリエイティブです。

クリエイターだけがこういったプロジェクトをやれるわけではないでしょう。何かを壊すとか解体するというときは丁寧に企画しチャレンジしてみると新しい何かが生まれる良いヒントになるのではないかと感じました。個人的にはやってみたいところですね。

空き家の終活という視点

報告書の終わりにもありますが、クリエイターがやりたいことを今回のプロジェクトを活用した「だけ」ということもできます。一方で、クリエイターがやりたいといって動くこと、その熱量は人を巻き込みます。クリエイターだから参加したというよりも、面白そうだからプロジェクトに関わったというのが実際なのではないでしょうか。

そして文字通りこれらはアパート解体の1年間までです。一方でこれこそが「終活」であり、建物は解体され亡くなっていくわけですが、アパートの思い出や歴史がどこまで語られたかは正直分かりません。ただ銭湯に付属するようなアパートであったということから、銭湯とリンクさせることで、人々の記憶には残っていくし、アパート自体は最後まで使われて終わるというのは実はとても良い使われ方なのではないかと、勝手に想像しました。朽ちて壊されるよりも、使われて掃除されてキレイにして終わる方が気持ちが良いのではないかということです。

もちろんこれは美化しすぎているのではないかとも言えます。でも人が関わりそれが良い形でまたつながっていく、広がっていくならとても良い試みだったのではないかと感じます。

どう終わりを迎えるか

何かが終わる、完了するということは悲しいということはあります。一方でそういう悲しさでないところで、ケリを付ける、区切りをつけるということもあり、それは心の整理になります。

少し違いますが、心のささくれみたいなものかもしれません。もちろん空き家に対して税金を払ったり、または処分できなくて困っているというところは「ささくれ」かもしれませんが、金額以上にメンタルにくるという意味合いです。ちなみに生活のささくれというのは御用聞きというサービスの取材記事にあるのですが、小さなことを改善することが大事なのではないかという視点です。高齢者の「生活のささくれ」をケア!? 5分100円から家事代行する株式会社御用聞き

解体するからクリエイターが集まってプロジェクトをやることが「正解」なのではもちろんありません。何かが終わるということを丁寧に看取ることでそこから何かが始まる、整理がつくということです。

実際に処分できるなら「誰でもどこでもなんでもいい」ということが「言葉」にはできます。しかし、多くの人はちゃんと活用されたり、ちゃんと解体する、ちゃんとやってくれる人を期待するし、そういう人に「気持ちよく」使ってもらいたいと願うのではないでしょうか。私であればそのような人に解体プロジェクトをやって欲しいし、関わって活用してもらいたいと考えるからです。

今後こういった建物の終活、空き家の終活がますます生まれたり丁寧なサービスが生まれたりするかもしれませんね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

RSSでもご購読できます。